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金閣寺が燃えた理由とは?再建にかかった金額(費用)と燃える前と後の違いは?

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金閣寺が燃えた理由とは?再建にかかった金額は?燃える前と後の違いは?

皆さんは、金閣寺が燃えて無くなっていたことを知っていましたか?

現在存在する金閣寺は昔からある金閣寺ではないんです!

70年前の1950年7月2日に金閣寺の学僧により放火され、当時の国宝の金閣と仏像などが焼失焼失しているんです。

そんな騒動があった金閣寺の過去を掘り下げていこうと思います。

よかったら最後まで見ていってくださいね!

金閣寺について

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金閣寺とは通称で、正式名称は「北山鹿苑禅寺(きたやまろくおんぜんじ)」です。

世界遺産にも登録されている金閣寺は1397年にすでに隠居生活をしていた足利3代将軍・足利義満が隠居後にも世に権威を表すために建てられたと言われていて、その規模は御所に並ぶほどで、政治中枢のすべてが集約されたとされています。

金閣寺の内装は階層ごとに違っていて、1階は公家風の寝殿造で阿弥陀堂、2階は武家造りの住居、3階は禅宗様式になっていて、2階3階の外装・内装は金箔が使われているとのことです。

1950年に金閣寺の学僧の放火により金閣が全焼し、歴史的な像や経巻までも焼失してしまいました。

現在、金閣寺は京都府京都市北区金閣寺町にあり、たくさんの観光客が訪れていて、世界的な観光スポットになっています。

境内の北側の丘からの景色も綺麗で、季節によって紅葉やサザンカが美しく、また違う金閣寺が楽しめます。

日本に住んでいるなら一度は金閣寺を見に行くことをおすすめします。

 

金閣寺はなぜ燃えたのか?

金閣寺放火事件は1950年7月2日に京都府京都市北区金閣寺町の金閣寺が金閣寺の学僧に放火された事件です。

事件の経緯

1950年7月2日に鹿苑寺から消防署に出火の報告があり、急いで消防隊が駆けつけたが、すでに、金閣寺は全焼していました。

当時の金閣寺には7つの火災報知器が設置されていたのですが、数日前の点検で火災報知器のバッテリーが焼け焦げていて使えなくなっていたそうです。

当時、国宝の金閣が全焼していて、「創設者の足利義満の木像」「阿弥陀如来像」「観音菩薩像」「仏教経巻」などの文化財6点が焼失しました。

人的被害がなかったのが幸いですね。

普段火の気がないことや寝具が近くにあったなどの現場検証の結果から、放火の疑いがあるとして金閣寺の関係者を取り調べると、金閣寺の見習い僧侶が行方不明であることが判明し捜査が行われました。

同日の夕方に薬物のカルモチンを飲んで切腹しているところを寺の裏の左大文字山で発見され、放火の疑いで逮捕されました。見習い僧侶は応急処置により一命を取り留めています。

 

動機

逮捕当時の取り調べによると見習い僧侶は、「世間を騒がせたかった」「社会への復讐のため」などと供述していました。

しかし実際には自身が病弱で吃音症であったり、実家の母親からは期待を寄せられていたり、様々なストレスや厭世感情があったとされています。

そのため、多くの作家がこの複雑な感情を解き明かす文学作品が創作されました。

三島由紀夫の「自分の吃音や不幸な生い立ちに対して金閣における美の憧れと反感を抱いて放火した」や水上勉の「寺のあり方、仏教のあり方に対する矛盾により美の象徴である金閣を放火した」などの解析があります。

服役中には統合失調症の進行が見られたことから、事件発生当時既に統合失調症を発症していて、その症状が犯行の原因の一つになったのではないかと予想されたりしている。

この事件を題材に、長編小説では三島由紀夫『金閣寺』や(その小説を原作とする映画『炎上』もあり)、水上勉『五番町夕霧楼』が書かれた。

水上は舞鶴市で教員をしていたころ、実際に犯人と会っていると述べている。水上が1978年に発表したノンフィクション『金閣炎上』は舞鶴の寒村・成生の禅宗寺院の子として生まれた犯人の生い立ちから事件の経緯、犯人の死まで事件の全貌を詳細に描いたもので、事件の経緯を知るための一次資料となっている。

参照:Wikipedia

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現在の金閣寺は京都府の支援や地元経済界などからの浄財によって事件から5年後の1955年に再建されました。

明治時代の再建された時の詳細な図面が残っていたこともあって、かなり再現度の高い金閣寺が再建されています。

焼失からの再建にかかった費用は1955年当時のお金で約7億4000万円にもなると言われています。

そのうち政府から再建費用で約3000万が集められ、再建に当てられました。

約20キログラムの金箔を壁に貼っていて、1グラムを1000円とすると金箔だけて2000万円も使われています。

1950年に焼失した金閣寺は国宝だったので再建されたのですが、現在は国宝指定されていないので、もし再焼失したとき、国費で再建されない可能性が高いとされています。

しかし現代では、国費では再建できなくても、募金などでなんとかなりそうな気がしますよね!

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金閣寺が焼失した前と後の違いの最大の違いは、やはり金箔の量ですね。

焼失する前の金閣寺にはほとんど金箔は残っておらず、2階部分の見た目には全く無かったが、貼った痕跡があると言うことで、再建の際に2階3階に金箔が貼られる事になりました。

また、2階3階の内装にも金箔が使われていますが、一般公開話されていません。

一般公開されてないのに金箔を使う必要があったんですかね?

紫外線によって接着剤薬の漆が傷んでしまい、再建された時に使われた金箔は10年20年で剥がれ落ちてしまいました。

なので、前回の失敗から学び、5倍の厚みがあるものを20万枚使用して、1986年に金箔の張り替えをする「昭和大修復」が行われました。

再建直後より金箔の量が10倍にもなりました。

まとめ

金閣寺にこんな歴史があったことをご存知でしたか?

今の10代の人は金閣寺が燃えたことも知らない人が多かったと思います。

これから先、また焼失する事ないように願うばかりですね!

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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